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11-1.茶道の歴史|茶道年表

  • ewatanabe1952
  • 4月2日
  • 読了時間: 16分

更新日:4月28日

S A D O U H I S T O R

茶道の歴史 (全10回)

第10回「近代茶道の幕開け ―大正時代~現代― 」

…… 目 次 ………………

(1) ○○時代

(2) ○○時代

(3) ○○時代

(4) ○○時代

(5) ○○時代


茶道年表

紀元前 BC

■ 神農時代 (紀元前2700年頃)

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古代中国の神話において神農大帝*が数百種類もの草を、自らの身体で試した際に解毒に「荼(だ)」と呼ばれる植物を用いたと伝えられる。



■ 漢王朝時代 (紀元前206年―紀元前220年)

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古代の医学書「神農本草経*」に神農大帝の神話の中で「茶」が薬として記述される。



■ 漢王朝時代 (紀元前206年―8年)

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紀元前59年頃。文学者の王褒が主人が奴隷を買うために両者の間で交された契約文章「僮約」の中に「茶」に関する具体的な記述があり「茶」を飲む習慣が中国の西南部に位置する四川省付近ではじまったことがわかる。


飛鳥時代 592 ―710

奈良時代 710―794

■ 729年 (天平元年)

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一条兼良*が著した「公事根源」の中に聖武天皇*が催した宮中行事「季御読経*」において、僧侶に対して引茶*がふるまわれたという記録が残される。


■ 中国/唐代 (618年―907年)

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760年頃。文筆家の陸羽*によって茶書「茶経*」が著される。本書は世界最古の茶に関する書物とされ茶の産地、製法、道具に至るまで詳細に記されている。


平安時代 794―1192

■ 初期

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平安時代初期、中国・唐へ派遣された遣唐使*や伝教大師・最澄*、弘法大師・空海*らが最新の学問や仏典とともに「茶」とその種子を日本へ持ち帰ったと伝えられている。(※諸説あり)



■ 初期

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比叡山のふもとにある日吉社の禰宜・祝部行丸は、天正十年(1582年)に記した「日吉社神道秘密記*」の中で、伝教大師・最澄が唐からの帰国後、比叡山の麓に茶園を開いたことを記している。この記述は、日本における茶の栽培に関する最古級の記録の一つとされている。



■ 808年 (大同三年)

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平安京の内裏東北隅に茶園が設けられ、造茶師が置かれていたという記録がある。



■ 815年 (弘仁六年)

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勅撰史書「日本後紀*」の弘仁六年(815年)四月二十二日の条には嵯峨天皇*が近江の韓崎(現:滋賀県大津市唐崎)へ行幸した際、梵釈寺の大僧都・永忠*より、茶を煎じて振舞われた旨が記されている。この記述がわが国の公式史書においてはじめて「茶」が登場した例とされる。

また嵯峨天皇は行幸の2ヶ月後に「近江」「丹波」「播磨」など、都(京都)の周辺国に茶の木を植えさせたうえで、茶の献上を求めたという。



■ 894年 (寛平六)

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遣唐使の廃止。唐の文化的影響から距離を取り、独自の国風文化*を築きはじめるたことを象徴するもので、同時に「茶」もまた、次第に人々の関心から遠のいていくこととなる。十世紀以降の「茶」は季御読経などに限られた儀式の中でしか用いられなくなり、「茶」の歴史も一時的に停滞することとなる。



■ 903年 (延喜三年)

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菅原道真*が自らの詩文をまとめた漢詩集「菅家後集*」において、自身が大宰府に左遷された際、「茶」を飲んだという一節が残されている。



■ 950年 (天暦四年)

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宇多天皇が亡くなる数日前に宝物類を倉に納めた際の目録「仁和寺御室御物実録*」に茶道具が記される。



■ 1016年 (長和五年)

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藤原道長*は、病を患った際に薬として茶を服したと伝えられている。



■ 1191年 (建久二年)

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臨済宗開祖の栄西*は、中国・宋に渡り、禅宗とともに「抹茶の喫茶法」や「製茶の技術」を学び、帰国後、筑前国・背振山において宋より持ち帰った「茶の種(実)」を植え、日本における本格的な茶の栽培を始める。



鎌倉時代 1192―1333

■ 1207年  (承元元年)

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華厳宗の僧・明恵上人*は、栄西より茶種を贈られ、京都・栂尾の高山寺に植えたと伝わる。



■ 1211年 (文治五年)

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栄西によって「喫茶養生記*」が著される。本書は日本最古の茶に関する専門書で、上下二巻から成り、茶の効能や製法、薬効について仏教医学的な観点から詳述されている。特に、茶が健康を保つための飲料であることを強調し、武士や僧侶に対してその重要性を説いた内容は、後の茶文化の発展に大きな影響を与えた。



■ 1214年 (建保二年)

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栄西が鎌倉・寿福寺の住職を務めていた際、二日酔いに苦しんでいた将軍・源実朝*に呼び出され、加持祈祷を行うとともに「一服の茶」を勧めた。その際、栄西は、茶の効能を説いた著書「喫茶養生記」を献上し、源実朝はその一碗を飲むやいなや体調がたちまち回復したと伝えられている。



1239年 (延応元年)

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1月16日。西大寺*の僧・叡尊*が西大寺復興の感謝を込めて鎮守八幡に供茶した行事の余服茶を多くの衆僧に振る舞った。この行いが八百年近く連綿と受け継がれ、今日も西大寺にて4月、10月の年2回にわたり行われている茶儀「大茶盛*」の由来とされている。



■ 1283年 (弘安六年)

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鎌倉時代の仏教説話集「沙石集」に、牛飼いが僧侶の飲む茶に興味を示した際の話がみえる。この記述により、茶が寺院社会、武家社会から一般民衆にも広がりを見せたことが暗示される。



■ 1330年 (元徳二年)

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鎌倉幕府の執権である金沢貞顕の書状において「鎌倉では唐物を使った茶がたいへん流行している」との記述が見られる。



■ 1323年 (至治三年)

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昭和五十一年(1976年)。韓国の全羅南道新安郡の沖で発見された沈没船調査において、中国から朝鮮半島を経由して日本に向かう外洋帆船の沈没船より、約2万点に及ぶ陶磁器が発見。「至治三年(1323年)六月一日」と記された荷札をはじめ、のちの茶の湯で重要視される「茶入」「花入」「天目」などの茶道具が数多く含まれており、当時すでに「茶の湯」に適した道具が大量に輸入されていたことが明らかとなる。またこの船は東福寺再建のため元に派遣され、帰途の1323年に中国の慶元から日本の博多に向かっていた貿易船だったことが判明している。

室町時代 1336―1573

■ 1336年 (建武三年)

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11月7日。室町幕府は政治方針を定めた法令『建武式目』の中で「闘茶は贅沢で危険な集まりである」として闘茶や茶寄合などの群飲逸遊を禁止。しかし闘茶の人気は衰えずその後も100年以上にわたり続けられることとなる。



■ 1403年 (応永十年)

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この頃に成立されたとされる喫茶を主題とした往来物『喫茶往来*』の中で「茶会」の語がはじめて登場する。



■ 1450年 (宝徳二年)

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臨済宗の歌僧・正徹*が著した歌論書「正徹物語*」の中で当時の茶人たちを「茶数寄」「茶飲み」「茶くらい」の三つに分類し描かれる。



■ 1476年 (文明八年)

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能阿弥*相阿弥*らの同朋衆*によって、東山御殿内の装飾(座席飾り・諸道具など)に関する記録をまとめた聞書「君台観左右帳記*」が成立。



■ 1481年 (文明十三年)

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わび茶の祖・村田珠光*は、一休宗純*に参禅し、印可証明として中国・宋代の臨済宗の僧で、「碧巌録*」を著した圜悟克勤*墨跡*を与えられる。



■ 1482年 (文明十四年)

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足利幕府八代将軍・足利義政*は「東山山荘*(のちの銀閣寺)」の東求堂*内に茶室の原型とされる「同仁斎*」を造営。



■ 1522年 (大永二年)

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茶祖・千利休生まれる。



■ 1528年 (享禄元年)

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武野紹鴎は、当時、歌学の権威であった公家・三条西実隆の弟子となり、 のちに藤原定家*の歌論書『詠歌大概*』授けられる。



■ 1533年 (天文二年)

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奈良の塗師・松屋久政が茶会記を集成した「松屋会記*」を起筆。その後、二代久好・三代久重によって慶安三年(1650年)まで書き継がれる。



■ 1548年天文十七年)

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堺の豪商・天王寺屋の初代津田宗達が茶会記を集成した「天王寺屋会記*」を起筆。その後、二代宗及、三代宗凡によって天正十八年(1590年)まで書き継がれる。



1565年 (永禄八年)

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松永久秀は、奈良の多聞山城で開いた茶に千利休らを招き、天下一の名物と称された「九十九髪茄子の茶入」を用いる。



1568年 (永禄十一年)

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足利義昭を奉じて上洛した織田信長は、権威の確立を図る一環として「名物狩り」を実行し、今井宗久所持の「松島の茶壺」や「紹鴎茄子茶入」、松永久秀所持の「九十九髪茄子茶入」などの名物茶器を献上させる。



安土桃山時代 1573―1603

1582年 (天正十年)

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千利休が京都・山崎にある妙喜庵*内に茶室『待庵*(国宝)』を建立。

六月二日。「本能寺の変」により織田信長が自害。



1585年 (天正十三年)

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10月。豊臣秀吉*は京都御所において正親町天皇に茶を献じる「禁中茶会*」を執り行い、千利休も茶頭として出仕。またその際、正親町天皇から「利休」の居士号を賜り、利休は天下一の宗匠としての地位を確立。



1586年 (天正十四年)

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1月6日。年頭の参内に際し、豊臣秀吉は黄金茶室*を禁中に移し、茶会を催し、その際、千利休が茶頭を努める。

また松屋会記*の10月13日条には、奈良の中坊源吾の朝会において「宗易形ノ茶ワン」と記があり、おそらくこの記述が「樂茶碗(長次郎茶碗)」の初見とされる。



1587年 (天正十五年)

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10月1日。豊臣秀吉は、京都の北野寺社(北野天満宮)*において「北野大茶湯」を挙行。



1588年 (天正十六年)

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利休の高弟山上宗二、『山上宗二記』を著す。



1589年 (天正十七年)

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12月5日。千利休が修復を寄進した大徳寺山門「金毛閣」が完成。

同時に三門の楼上に「利休の木像」が安置され、落慶法要を営む。



1591年 (天正十九年)

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2月28日。豊臣秀吉の勅命により、千利休が聚楽屋敷で自刃。

千家は一家離散となり、利休の養息・千家二代/千少庵*は会津の蒲生氏郷*のもとに蟄居を命じられる。



1594年 (文禄三年)

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千少庵。徳川家康と蒲生氏郷のとりなしで 豊臣秀吉に許されて京に戻り、千家を再興。



江戸時代 1603―1868

1614年 (慶長十九年)

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千少庵が没し、息子の千家三代/千宗旦*が千家の家督を相続。



1618年 (元和四年)

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織田有楽*が京都・建仁寺*正伝院*に茶室「如庵*(国宝)」を建立。



1642年 (寛永十九年)

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表千家四代/江岑宗左*、紀州徳川家に茶頭として出仕。



1646年 (正保三年)

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千宗旦の隠居に伴い。三男の表千家四代/江岑宗左*が千家の家督を相続し、表千家*の基礎を固める。



1653年 (承応二年)

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千宗旦、再び隠居(又隠居)して、もとの隠居の二畳を「今日庵*」と命名し、又隠居の家に四畳半を建てて「又隠」と命名。

四男の裏千家四代/仙叟宗室*は、「今日庵」を継承し、裏千家*の基礎を固める。




1654年 (享保八年)

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中国・福建省から渡来した隠元禅師*が茶葉に熱湯を注ぐ「淹茶法(煎茶)」を伝える。



■ ― (―年)

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年不詳。次男の武者小路千家四代/一翁宗守*は一時期、千家を離れ、塗師の吉岡家に養子に入っていたが兄弟の勧めにより千家に戻り、武者小路に千家を興す。



1666年 (寛文三年)

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江岑宗左は父・千宗旦からの千利休の点前、作法、道具、茶室などの言い伝えを受け継ぎ、多くの聞書を書き残し、「江岑夏書」としてまとめ後世に遺す。



1723年 (享保八年)

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表千家六代/覚々斎は、徳川八代将軍・吉宗より「桑原茶碗(唐津茶碗)」を拝領。



1734年 (享保十九年)

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煎茶道の始祖とされる売茶翁高遊外*が、京都・東山にに通仙亭を構え売茶活動をはじめる。



■ 1738年 (元文三年)

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京都・宇治の農民であった永谷宗円は十五年の歳月をかけ新しい煎茶製法となる「青製煎茶製法*」を確立。



1739年 (元文四年)

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「利休居士百五十回忌法要」が挙行される。



1740年 (元文五年)

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表千家七代/如心斎、利休居士百五十回忌に際し、大徳寺・聚光院*に茶室「閑隠*」を寄進。



1741年 (寛保元年)

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江戸中期に茶の湯の遊芸化を憂慮した、表千家七代/如心斎、裏千家八代/一燈宗室*らが相談し、茶の湯の精神、技術をみがくために新しい稽古法として七事式*を制定。



1789年 (寛政元年)

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「利休居士二百回忌追法要」が挙行される。

表千家八代/啐啄斎は天明の大火(1788)で焼失した千家を復興し、利休居士二百回忌の茶事を催す。



1822年 (文政五年)

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表千家九代/了々斎は、紀州徳川家十代/徳川治宝の御成りを迎えた際、紀州徳川家より、「武家門」を拝領。この門は現在も表千家の表門として構えられ、多くの門人を迎え入れている。



1835年 (天保六年)

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山本山六代/山本嘉兵衛により、玉露の製法が発明される。



1836年 (天保7年)

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表千家十代・吸江斎は、幼少で家元を継いだため、表千家に伝わる真台子の点前の皆伝は一時、九代・了々斎から紀州徳川家十代・徳川治宝に預けられていた。その後、表千家十代/吸江斎は徳川治宝より皆伝を授けられ、利休以来の茶の湯の正統を継承することとなる。



1853年 (嘉永6年)

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日本茶輸出の開拓者と呼ばれた大浦慶は出島在留のオランダ人テキストルに嬉野茶の販路開拓を持ちかけ、3年後にイギリスからの注文を取り日本茶を輸出。

明治時代 1868―1912

1872年 (明治五年)

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裏千家十一代/玄々斎*第一回京都博覧会*に際し、より多くの人へと開かれた茶の湯を伝えるために立礼式*の茶の湯を考案。





1875年 (明治八年)

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跡見学園の創立者である跡見花蹊*が女子教育の一環として茶道をとりいれる。



■ 1880年 (明治十三年)

………​………

1月13日。表千家十一代/碌々斎が京都・北野寺社(北野天満宮)において、菅原道真公の御神前にお茶を献じる。この献茶式が近代茶道における献茶のはじまりとされている。





■ 1887年 (明治二十年)

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2月。京都御所御苑内にて、第16回京都博覧会「新古美術会」が開催。その会場で北三井家九代・三井高朗*と十代・三井高棟*が亭主となり、表千家十一代/碌々斎の点前で明治天皇への献茶が行われました。



■ 1890年 (明治二十三年)

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「利休居士三百回忌追法要」が挙行される。



■ 1896年 (明治二十九年)

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3月21日。実業家の・益田鈍翁により、茶会「大師会」が発足。




■ 1898年 (明治三十一年)

………​………

実業家で茶園経営者の高林謙三が「高林式茶葉租揉機」を考案。

従来の手揉みの前半を機械に頼る半機械製茶の時代が到来。茶葉の生産量を増やし、茶葉の普及と茶業界の発展に大きく貢献。

田中仙樵により、大日本茶道学会*が創立。



■ 1901年 (明治三十四年)

………​………

「第五回パリ万国博覧会」に「日本茶」と「台湾茶」が出展される


■ 1905年 (明治三十八年)

………​………

不審庵再度焼失。



■ 1906年 (明治39年)

………​………

米国ボストン美術館の日本美術部長も務めた文人の岡倉天心*が日本の茶道を中心に日本の精神性や美意識、文化などを世界に向けて紹介した『THE BOOK OF TEA* (邦題:『茶の本』)』をニューヨークの出版社より出版。

大正時代 1912―1926

■ 1915年 (大正四年)

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本阿弥光悦*の遺徳を偲ぶための茶会「光悦会*」が発足。例年11月11日から13日にかけて京都・鷹峯の光悦寺で開催。春に催される東京の「大師会」と秋に開催される「光悦会」は普段は美術館などに収まるような名品の数々が用いられるため多くの茶人に愛される二大茶会とされる。

また大阪三越において千家出入りの十の職家により「十職展」が開催。この展示会以降「千家十職」の呼称が用いられる。

昭和時代 1926―989

■ 1933年 (昭和八年)

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千家出入りの十の職家(千家十職)により『十備会』が結成。



■ 1936年 (昭和十一年)

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天正十五年(1587)、京都「北野寺社(北野天満宮)」にて開催された「北野大茶湯(1587)」の三百五十年を記念し同所にて「豊公北野大茶湯三百五十年記念大茶会(昭和北野大茶湯)」が開催される。



■ 1940年 (昭和十五年)

………​………

4月21日から四日間にわたり、「利休居士三百五十回忌法要」が挙行。



■ 1940年 (昭和十五年)

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裏千家の門流を統括する組織として「茶道裏千家淡交会」(1953年に社団法人認可)を設立。



■ 1942年 (昭和十七年)

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表千家十三代/即中斎により、茶道の全国の普及を目的に「表千家同門会*」を設立。





■ 1955年 (昭和三十年)

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「表千家同門会」海外初の「ハワイ支部」を設立。



■ 1955年 (昭和三十年)

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裏千家「茶道研修所(現:裏千家学園 茶道専門学校)」を設立。



■ 1980年 (昭和五十五年)

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烏龍茶ブームを受け、烏龍茶の飲料化に成功。缶入り烏龍茶の販売がはじまる



■ 1985年 (昭和六十年)

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10年の研究開発を経て緑茶の飲料化に成功。缶入り煎茶の販売がはじまる



平成時代 1989―

■ 1990年平成二年)

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「利休居士四百回忌法要」挙行

京都国立博物館にて『特別展覧会四百回忌/千利休展』開催

開閉可能なペットボトルの開発により、緑茶ペットボトルの販売がはじまる



■ 2000年 (平成十二年)

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冬場の消費拡大のため、暖め可能なペットボトルの販売がはじまる。









































生没年

1502年文亀二年 ………

[茶祖]村田珠光(1423-1502)/80歳』没。

1522年大永二年 ………

泉州堺今市町に千利休生まれる

1536年天文五年❚

豊臣秀吉生まれる。

1539年天文八年❚

長谷川等伯生まれる

1542年天文十一年❚

徳川家康生まれる。

1543年天文十二年❚

​古田織部生まれる

1544年天文十三年❚

山上宗二生まれる。

1555年❚弘治元年 ………

『[茶人]武野紹鷗(1502-1555)/53歳』没

1562年永禄五年 ………

『[茶匠]北向道陳(1504-1562)/59歳』没。

1563年永禄六年 ………

細川三斎生まれる。

1582年天正十年❚▼

『[天下人]織田信長(1534-1582)/49歳』没

1598年慶長三年 ………

『[関白/太閤]豊臣秀吉(1536-1598)/61歳』没

1589年天正十七年 ………

『[千家十職]樂家初代/長次郎(生年不詳-1589)/享年不詳』没

1616年元和二年 ………

『[将軍/五大老]徳川幕府初代/徳川家康(1543-1616)/75歳』没

1676年延宝四年 ………

『武者小路千家四代/似休齋一翁宗守(1605-1676)/83歳』没

晩年千家にもどり、武者小路千家(官休庵)の基礎を固めた人物である。

1716年享保元年 ………

『[画家/芸術家]琳派/尾形光琳(1658-1716)/59歳』没

1743年寛保三年 ………

『[陶工/芸術家]琳派/尾形乾山(1663-1743)/81歳』没。



日本史 / 世界史

894年寛平六年

★遣唐使廃止

905年………延喜五年

★『[勅撰和歌集]古今和歌集』の成立

1467年応仁元年 ………

​★「応仁の乱(1467-1478)」

1492年延徳四年 ………

​★コロンブス、アメリカ大陸発見

1543年天文十二年❚

★鉄砲(火縄銃)伝来

1549年天文十八年 ………

★キリスト教伝来

1571年❚元亀二年 ………

★比叡山焼き討ち

1600年慶長五年 ………

★関ヶ原の戦い

1614年❚慶長十九年 ………

★大坂冬の陣

1615年長二十年 ………

★大坂夏の陣

1639年寛永十六年❚

★鎖国(1639年-1854年)

1830年天保元年❚

★「天保の改革(1830-1844)」

1840年弘化二年

★「アヘン戦争(1839-1840)」開戦

1853年嘉永五年❚

★「黒船来航(ペリー来航)」

​1855年嘉永七年❚

★「第一回パリ万国博覧会」開催

​1889年明治二十二年❚

★「大日本帝国憲法(2/11)」公布

​1894年明治二十七年❚

​★「日清戦争(1894-1895)」開戦

1904年明治三十七年❚

★「日露戦争(1904-1905)」開戦

1923年大正十二年❚

★関東大震災

​1931年昭和六年❚

★満州事変(1931-1933)

1932年昭和七年❚

★五一五事件

1937年昭和十二年❚

★「日中戦争(1937-1945)」開戦

1939年昭和十四年❚

★「第二次世界大戦(1939-1945)」開戦

1941年昭和十六年❚

★「太平洋戦争(大東亜戦争)」開戦

1945年昭和二十年❚

​★「太平洋戦争(大東亜戦争)」終戦

1964年❚昭和三十九年❚

★東京オリンピック開催

2020年令和二年❚

​★東京オリンピック開催

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