3-7|唐物道具の登場 ~茶の湯が愛した異国の器~|第3回 喫茶のはじまり|鎌倉時代|茶道の歴史
- ewatanabe1952
- 2023年1月22日
- 読了時間: 3分
更新日:7月21日
全10回
茶道の歴史

茶を引き立てる美
一碗の“茶”を引き立てるのは、器の美しさか、それともその物語か――。
遥か海を越えて届いた美しい道具たちは、一服の“茶”に新たな価値と格式を与えていきます。
今回は、“茶の湯”における「唐物道具**」の登場を紐解きます。
宋・元との交易と唐物の流入

鎌倉時代(1185年―1333年)後期から室町時代(1336年―1573年)初頭にかけて、日本は中国・宋時代(960年―1279年)や中国・元時代(1271年―1368年)との貿易を活発に行い、多くの貿易船が派遣されました。
その結果、“墨蹟**”や“茶入**”“天目**”“花入”“香炉**”“織物”などの工芸品や、“書物”“薬品”などが大量に輸入されることとなりました。
これらの品々は一括して「唐物**」と尊称され、とりわけ“茶”を喫する際の「茶道具**」として重宝されていくようになります。
また鎌倉幕府第十二代連署**「金沢貞顕*」が記した手紙には、
❝❝❝
鎌倉では唐物を使った茶がたいへん流行しています
❞❞❞
との記述があり、当時の人々が唐物に強い関心を寄せていた様子がうかがえます。
海を越えた陶磁器の足跡

昭和五十一年(1976年)に行われた調査において、中国から朝鮮半島を経由して日本に向かう外洋帆船の沈没船より、約2万点に及ぶ陶磁器**が発見されました。
その中には―“至治三年(1323年)六月一日”―と記された荷札をはじめ、のちの“茶の湯”で重要視される“茶入”“花入”“天目”などの茶道具が数多く含まれており、当時すでに“茶の湯”に適した道具が大量に輸入されていたことが明らかとなりました。
異国の器とともに、日本の“茶の湯”文化は静かに、しかし着実にその歩みを進めていたのでした。
茶の湯に宿る美と格

唐物道具の登場は、“茶”を嗜むという行為に新たな“格”をもたらしました。
単なる実用品ではなく、そこに宿る物語や美意識が、“茶の湯”に深みと奥行きを与えていきます。
次回は、こうした“茶の湯”の様式が、どのようにして―書院茶湯―として整えられていったのかをたどります。
登場人物
金沢貞顕
1278年―1333年|北条貞顕|鎌倉幕府第十二代連署|北条実時の孫
用語解説
唐物道具
―からものどうぐ―
墨蹟
―ぼくせき― 禅僧が筆で書いた書のこと。中国の高僧の墨蹟は、精神性と芸術性を兼ね備えたものとして茶室に掛けられ、茶の湯における精神的支柱のひとつとされる。
茶入
―とうちゃ―
天目
―てんもく―
香炉
―こうろ―
茶道具
―さどうぐ―
連署
―れんしょ―
書院茶湯
―しょいんちゃゆ―
金沢貞顕
―かなざわ・さだあき―
陶磁器
―とうじき―